(その圧倒的存在感が問題となり、残念ながら20周年記念表紙から抹消された男。作画引用元 原泰久先生 作 キングダム )
あけましておめでとうございます。
今年最初のキングダムから、ソッコーで合併扱いからの一週間お休み。
仁と青歌雲の熱い勝負が始まった瞬間で、一旦、お預けのキングダムでした。
さて、ようやく再開しましたキングダム。
キングダム863話は、蒼仁(そうじん)と青華雲(せいかうん)による弓同士の戦いが描かれた回です。一見すると、十弓クラスの強者と若き弓兵の実力差を見せるエピソードに思えますが、実際にはそれ以上に深いテーマが込められていました。
ここから、ザックリと振り返って行きたいと思います。
本記事では、キングダム863話の内容を振り返りながら、**弓対決の意味、父・蒼源の言葉、そして「未完成であることの価値」**について考察していきます。
いや、はっきり言って、蒼親子の禅問答、最後まで意味が分からんかった。
まあでも、それはイイや。
分からんでも、面白かったのは確かだし。
中華十弓、究極の対決に決着
飛信隊側で、淡が退いて後…、
蒼仁と青華雲(せいかうん)**による弓矢対決の“第二ラウンド”を中心に描かれています。
十弓同士の勝負は、第1矢から激しい読み合いと技術のぶつかり合いとなり、戦士としての極限が露わになった展開でした。
🔹 乱戦の中で放たれた第一矢
物語は、戦場の混乱した最前線で両者が矢を番え、第一矢を放つシーンから始まります。お互いの矢は兵士たちの間を縫うように飛び交い、戦場という混沌の中で極限の読み合いが展開されました。
仁の矢は青華雲に一度見切られましたが、青華雲の矢は乱戦のぶつかり合いの中でそのまま仁の身体に命中します。血を噴きながらうずくまる仁。しかし彼は叫びます――
「大丈夫です。急所と骨はかわした……弓は引ける!」
負傷しながらも戦いを放棄しない仁の姿に、飛信隊の仲間たちは声援を送りますが、仁自身はその状況を冷静に受け止めています。
🔹 青華雲の冷静な評価と、互いの技術の差
青華雲は涼しい表情のまま仁を観察し、彼の技術を評します。
「風結い、先読み、霞――どれも申し分ない。弟・蒼淡よりも上かもしれない。しかし、それでも……この私には及ばぬ。」
かつて中華十弓として名を馳せた者として、自らの境地と仁の到達点を客観的に見極めるその言葉は、単なる挑発ではなく戦士としての誇りを感じさせます。
仁は負傷しつつも前を見据え、父・蒼源が語っていた“矢の極意”を思い返します。それは、ただ技術のみを極めるのではなく――
「道を極め尽くした者は、己の矢を究極の域へと導く」
というものでした。ここで仁は単なる弓術の対決を超え、「矢を飛ばし続ける意味」について深く考え始めます。
一方で、仁と青華雲の戦いは一見すると孤高の勝負に見えますが、傍では多くの仲間たちの感性が反応しています。
羌瘣や羌礼などは空を見上げ、**神韻(しんいん)**を感じ取っています。
🔹 対決のクライマックス:喉を貫く一矢
863話最大のハイライトは、仁の意識の中で蘇る父・**蒼源(そうげん)**の教えです。蒼源は仁にこう語ります。
弓の極みに立つ者は “先を見る目” も極まる
そして人の世に絶望し弓を置く…
これは一見すると矛盾した言葉ですが、本質は 「戦いには終わりがない。だからこそ、目的を見失ってはならない」 というものです。仁がここで「道を見失いかける瞬間」が描かれることで、単なる弓の勝負ではなく、戦争そのものへの問いかけになっています。
蒼源の語る「究極の矢」は、単独の力だけではなく、世代を超えて“飛び続ける”ものとして描かれます。つまり、
見えない道を信じ、次の者へと繋げていくこと
それこそが本当の進むべき道だとする思想
です。
やがて戦いはクライマックスへと突入します。互いの矢は再び飛び、互いの読み合いは極限に達しますが、最終局面で仁の放った矢が――なんと青華雲の喉を貫きます。
これには戦場全体が驚愕します。青華雲が致命傷を負ったこの瞬間、戦況は動かざるを得なくなる――従来ならば中華十弓の頂点に立つ者をこうもあっさり討ち取ることは考えにくく、多くの読者が衝撃を受けたシーンです。
この一矢は単なる勝負を超え、「道を進む者」と「極限を知る者」の境地の差を象徴しているようにも見えます。仁は単に技術で勝ったのではありません。
父の教えを胸に、自らの成長と覚悟を矢に乗せたのです。
ただし、こうやって何とか全体の振り返りを書いてみたものの、蒼源も仁も、何言ってんのか、僕には彼らの話の内容、全然意味が分かりませんでした。(笑)
青歌雲が何で、仁を捕捉できなくなったのか??
天の声が聞こえるとか、受けれ入れろとか、仁が回想している間に、青歌雲の矢が何故か、外れるようになったのも、何でかよく分かりません。
よく分からんまま話が進んだと思ったら、なんか急に、青歌雲にも『え?俺が間違ってたの??』みたいになって、なんか、青歌雲にも**神韻(しんいん)**が聞こえたと思ったら、勝負がついていて散々だったな、青歌雲と思いました。
ここからは、感想書いていきます。
青華雲はなぜ戦場に立たされ、なぜ死なされたのか
キングダム863話を読み終えたあと、蒼仁の成長や「未完成の強さ」に心を打たれた読者は多いと思います。
しかし同時に、どうしても目を背けられない存在がいました。
それが、趙国十弓・**青華雲(せいかうん)**です。
彼は思ったより、理知的で戦争というものを冷静に見つめていました。
そして何より、本来は戦争に積極的に参加するタイプの人間ではありません。
にもかかわらず、彼は戦場に引きずり出され、最終的には「間違いなく死亡させられている」立場に置かれています。
青華雲の独白を見ても分かる通り、彼は、別に、好戦的な武人ではありません。
弓の腕は極めていますが、その視線は常に冷静で、戦争の虚しさを理解しています。
彼は、
「勝っても何も残らない」
「殺し合いの先に救いはない」
という地点まで、すでに到達している人物です。
つまり青華雲は、戦争に夢を見られなくなった人間です。
つーか、別に普通の反応だし、普通に善良な人間のリアクションだと思うんですよ。
普通に考えれば、李牧さんなんかより、こういう人物こそ、後方で戦況を分析したり、若い兵を導いたりする立場に置かれるべきでしょう。
しかし、皮肉にも、青華雲のような穏健な人間を、戦場に引き釣り出したのは、間違いなく李牧さんです。
彼は、青華雲の力量を正確に理解していますし、彼が十弓としてどれほど貴重な存在かも、十分に分かっているはずです。
それでも李牧は、
「君が必要だ」
「趙のために力を貸してほしい」
という、極めて“正論めいた言葉”で、青華雲を戦場に立たせます。
ここが重要なポイントです。
李牧は強制していません。
命令もしていません。
春画をチラつかせて、ただ、なんとなく断れない状況を作っただけです。
意味不明な部分で、真面目で責任感の強い青華雲にとって、この誘いを拒否するという選択肢は、ほぼ存在しなかったと言えるでしょう。
真面目すぎた青華雲と、都合よく使う李牧
多分、青華雲は、非常に「真面目」な人物です。
理屈を理解し、立場を理解し、それでも引き受けてしまう。
一方の李牧はどうでしょうか。
彼は青華雲を戦場に出したあと、十弓同士の死闘をただ観戦しているだけです。
戦況を動かすわけでもなく、
退路を用意するわけでもなく、
援護を差し向けるわけでもありません。
やっていることは、
「強者同士が潰し合う様子を、後ろから眺めている」
それだけです。
これが指揮官の仕事と言えるでしょうか??
李牧は863話で「何もしていない」
863話における李牧は、驚くほど何もしません。
登場すらしていません。
・青華雲が劣勢になっても動かない
・十弓という希少戦力を消耗しても気にしない
・敵将の思惑を読むわけでもない
しかし、仁との勝負での、青華雲の死(もしくは致命的敗北)は、趙軍にとって決して軽い損失ではありません。
それでも李牧は、彼を温存する選択をしませんでした。
863話にどこか残酷さを感じるとしたら、「青華雲が死ぬこと」そのものではありません。
本当に皮肉なのは、
-
青華雲は青歌雲なりに最後まで誠実だった
-
蒼仁は必死に前を向いていた
-
そして李牧だけが、何も失っていない
という点です。
戦場で命を賭けた者たちと、
安全圏で盤面を眺める者。
その構図が、あまりにも静かに、当たり前のように描かれています。
まとめ:青華雲は真面目だった
青華雲は間違っていません。
逃げなかったし、腐らなかったし、最後まで弓を引きました。
ただ一つ問題があるとすれば、
彼は、春画が好きな以外、あまりにも真面目すぎた。
という事でしょう。
